技術経営ブログ

かつての研究開発の定石(その1)

2019年6月10日

技術ブログ

イノベーション経営戦略を考える上では、研究開発(R&D)の戦略を無視することはできない。今週は、過去のR&Dの歴史を紐解くことにより、現在のイノベーション経営戦略の在り方を考察していきたい。

19世紀のR&Dは、エジソン等のように、名前が具体的に特定できるような個人発明によるものが大きなウェートを占めていた。彼らはある意味において天賦の才能を持ち、アイデアを思いついて自ら実験を行い、試作品も制作し、特許を取得するというプロセスを繰り返していた。その当時の発明家は、どちらかというと発見や発明に全力を注ぐものの、その事業化に関心がない人が多かったと言われている。取得した特許を売却して資金を得て再び次の研究につぎ込むことを繰り返し行っていた。事業化は、その特許を買い取った企業が行った。当時の大企業は、製造業であっても技術開発のための研究活動を行うことなく、研究開発の外部委託型を採用していた。(しかし、エジソンは例外であり、彼は特許の売り込みに加え特許を一つのツールとしてビジネス戦略を構築するために、特許弁護士を雇い、また自ら完成させた発明を事業化するためのスペシャリストを雇用していたらしい。)

しかし19世紀も終わりになる頃には、通信産業、電機産業、化学産業が立ち上がり始め、各企業も自ら技術開発に迫られるようになってきた。そこで米国の企業が手本にしたのはドイツだった。当時ドイツは、国家の経済発展と軍事力の強化を図るため、技術開発に注力する体制ができており、今でいう産学官を融合させた仕組みができていた。ドイツの各企業は中央研究所を社内に創設し、研究者を配置してR&Dを内製化できる仕組みを築いていた。特に第一次世界大戦が勃発すると、化学製品の殆どをドイツに依存していた米国は危機感を持つようになり、米国の製造業は、社内に研究組織を築く流れが加速したと言われている。GEを例に挙げれば、20世紀初頭に中央研究所を設立し、各大学から優秀な研究者を次々に採用し、短期間で様々な技術開発を成功させるに至った。企業内部の研究組織が成果を上げるようになれば、技術開発を通じて技術のシーズを作り出し、これをイノベーションにつながる技術に仕上げ、独創的な製品に仕上げて莫大な利益を生み出す。つまり、R&Dのリニアモデルができつつあった。

〈R&Dのリニアモデル〉

基礎研究(技術シーズを生み出す)→応用研究→開発→試作→生産

中央研究所は、基礎研究~応用研究を専門に行う。このようにして19世紀における個人発明家によるアイデア創造の時代から、企業内部に研究組織を持つ時代へと変化してきたわけである。世界に通用する基礎的な研究を行い、そこから生まれるキーとなる技術を盛り込んだ製品を作り出し、利益を上げるモデルに変革が起きたわけである。

R&Dのリニアモデル化は、優れた技術を生み出すためには、その上流に科学があることが不可欠であり、科学→技術の流れしかなく、その逆はあり得ないという認識が先ず第一にある。上流にある科学に対する優先順位がとにかく高い時代であった。

第二次世界大戦後の日本企業もその流れを踏襲し、製造業内に中央研究所が作られるようになったが、1960年代には、米国において、このR&Dのリニアモデルに対する疑問が湧き始めていたのである。

続きは次回のブログで

参考文献 宮原諄二 「白い光」を創る 社会の技術の革新史 東京大学出版会

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