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関ヶ原の戦いから考える戦略と戦術 -家康は戦う前から戦略で既に勝っていた-

2018年11月26日

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 天下分け目の関ヶ原、東軍総兵力7万5千に対して、西軍8万2千。陣形も、東軍に対して西軍が包囲した形となっていた。つまり、当初の陣形配置だけ見た場合には、西軍が有利だったといわれている。しかし、蓋を開けてみれば東軍の圧倒的勝利。この関ヶ原の戦いに関しては現在においても所説が数多く展開されているが、これについては歴史学者の研究成果を拝聴させていただくとし、今回は、この関ヶ原の戦いを、経営学上の戦略と戦術という切り口から眺めてみたい。
 
 戦略とは、全体的な目的を達成するためのシナリオであり、戦術とは、目的を達成するための具体的な手段・計画をいう。 
 
 つまり陣形配置は戦術である。東軍は陣形配置では、一見すると負けていたと考えることもできる。しかし、大局的な戦略において戦う前から勝利していた。ここで家康の描いた戦略の目的は、天下を取る、もう少し絞り込むのであれば西軍に戦で勝つ、といったところであろう。その戦略的目的を達成するためのシナリオは、徹底した多数派工作であった。福島正則、黒田長政といった豊臣恩顧の大名を味方につけるだけでなく、西軍にいながら家康になびきそうな大名に手紙を送り続け、時には破格の条件まで付けた調略を行っていったのである。

 その中で関ヶ原の戦いの実戦においてキーとなったのが小早川秀秋と吉川広家だ。当初は西軍に属し小早川秀秋は松尾山に1万5千もの兵力で布陣していたが、家康の合図に呼応して東軍に寝返り、大谷、宇喜多隊へ突っ込んで戦局の方向性を決定づけた。また吉川広家は、毛利秀元(兵力1万6千)らの出陣を阻害する位置に陣取って毛利勢の動きを拘束した。

 その結果、西軍全兵力のうちまともに戦っていたのはその1/3程度であったといわれている。つまり東軍は西軍よりも3倍以上も多い兵力で戦っていたのである。

 戦術面(陣形等)では、一見すると負けているように見えるが、この陣形で西軍が全軍で正面切って戦っていれば、西軍が勝利していた可能性は高い。しかし、戦う前から戦略面で負けることはあり得ないと確信していた家康は、このような展開になることを当初から予想しており、西軍に包囲されながらも前面に兵力を集中させていたといわれている。

 戦略の目的が、西軍に戦で勝つ、であればこれを実現する上で必要なKSF(Key Success Factor:戦略を成功に導く鍵となる要因)が兵力であると位置づけ、そのKSFに基づき、徹底的な多数派工作を行い、味方を増やしていた。実際に徳川秀忠軍3万5千が関ヶ原の戦いに遅参してしまうという計算違いもあったが、このような計算違いがあってにせよ、KSFから勝てるストーリーを既に作っていた。まさしく戦略により、戦う前から勝利していたのである。
 
 戦術も勿論重要であるが、これに頼りすぎると、わずかな計算違いにより、負けてしまう場合も出てくるが、大局的な戦略ストーリーが描けていれば多少の計算違いがあっても、それをのり越えることができる、ということかもしれない。今回の話は歴史好きの方々には賛否両論あるかもしれないが、戦略と戦術という切り口から、普段の仕事において戦略的思考の重要さを改めて考えてみたい。

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